投稿者 vb4ach | 返信 (2) | トラックバック (0)
Re: 君のことが必要
必要なのは何か |
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例えば、私にはあの人が必要だ、そう思って1年、3年、5年・・・とにかく長い時間がたったとした場合にです。
あの人は振り向かない。でも、まだ私には必要。
諦めることは出来ない。なぜなら、嫌われてはいないから。まだ期待していられるから。
なぜ振り向いてくれないのに嫌われないし、嫌いにもなれないのだろうか?
それは決定的なことが起こらないから。曖昧に、うっすらと期待を持って待っていることが出来るから、決定的なことを起こさないからだ。
さて、恋焦がれて憧れて手に入れたいものがそこにあり、手を伸ばさないでいられるならば、それは本当に必要だろうか?
僕はそうは思わない。
在ったら尚良い、しかし何としても手に入れたいわけではない。そういう状態は”必要”と言わない。
この場合、必要としているものがもし本当にあるならば、それは相手そのものじゃない。今までずっと大事にして来たもの、つまり、そのシチュエーションだ。結果がそう言っている。本当に必要なのは相手じゃなくて、恋焦がれて愁い悩む自分だ。
相手は、その想いに現実味を演出する小道具だ。
と、これは敢えて逆説的に考えてみただけです。
きっと、そうではない、と思われることでしょう。
そうではないと、僕も思います。
Re: 君のことが必要
片思いに費やす時間はもう残っていない |
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自分自身の想いは間違いない事実だが、相手の思いは、多かれ少なかれ、『勘違い』か『誤解』。
そして、間違いないと思われる自分の想いさえ、自分自身を裏切る。
基本的に、人が人を必要とするのは自分自身の都合でしかない。
心も、肉体も…
その欲求は刹那的なモノなのだ。
その自分の持つ根源的な心の欲求から目をそらし、理知的に良い人、悪い人を演じる時、人は自分自身の想いを裏切る。
片思いで悩む前に、さっさと自分の欲望を相手にぶつけたまえ。
欲しいのは相手の心なのか肉体なのか、それとも両方なのかは知らないが…
知性や精神は、行動のしもべでしかないのだ。
たとえ、君が若かろうが、片思いを悩むほど、時間は残っていない。